
寺院案内
照覺寺由緒沿革
開基は、三代目釋浄猶(延宝九年一月十八日没)。北陸方面の武士が戦乱を逃れて松浜に落ち延び、その後当地(河渡)に住み着き農耕に従事していた。三代目釋浄猶が、沼垂「光照寺」所属で法名を賜り、照覺寺の寺号をいただき初代住職となった(千六百八十一年)のが始まりとされている。
しかし照覺寺以前はもともと村(河渡集落)の説教所として、講中が管理していたとも考えられる。現在の阿弥陀仏ご本尊より以前に、天正二年(千五百七十四年)三月十日の日付の別幅の本山下付御裏書があり、おそらくそれであろうご本尊様も半身が割れた状態で出てきている。
御裏書には、賀茂郡中村(現在の静岡県伊豆周辺?) 願主 釋教(意)と記されている。このご本尊様がなぜ河渡の地に移ってきたかは不明。願主の釋教(意)の法名も、過去帳に記載がない

照覺寺を名のる前はこのご本尊様を中心として、講ができていたとも考えられる。現在のご本尊様は、二代目となり慶応二年(千八百六十六年)九月十九日下付の別幅のお裏書があり、今までのお御堂はその頃建立と思われる。が、定かではない。八代目住職 釋智覺の代で現在のご本尊を下付され、それは過去帳に記されている。しかし本堂建立については記載がない。初代ご本尊様が損傷を受け、御修復を受けずに二代目を貰い受けるのは、相当な理由が必要と思われるがそのことについてもはっきりとした記載がない。
結論から言うと、「まだ何もわからない」とするしかない。天正二年の御裏書が今に残っていたことも、奇蹟に近いかもしれない。これから少しずつ他の文献を探りつつ、事実を明らかにしてゆきたい。
平成二十八年四月二十九日
釋智修
住職挨拶
照覺寺住職 多田(法名 釋 智修)でございます。
この度は、当山HomePageにお越しくださいましてありがとうございます。
当山は、真宗大谷派(京都東本願寺)に所属する仏教寺院です。
宗祖親鸞聖人のお念仏の教えから学ぶ「聞法の道場」であろうとしております。
そして開かれたお寺を目指して、敷居は低く、心配事・悩み事だけでなく、ボヤキや愚痴も語ることのできるような場を提供したいと思っています。

住職プロフィール
【多田 修】
1962年5月、新潟県柏崎市生まれ
1988年3月、大谷専修学院終了。
1994年9月 照覺寺住職に就任。
現在、坊守1名と猫2匹で生息中。
好きな言葉は
「無理せず 怠けず へこたれず」
| 寺院概要 | |
|---|---|
| 寺院名 | 照覚寺 |
| 宗派 | 真宗大谷派 |
| 住所 | 〒950-0016 新潟県新潟市東区河渡本町15−23 google map |
| 電話番号 | 025-274-2815 |
| HP | https://koudo-shokakuji.com/ |
| 交通案内 | お車の場合 新潟バイパス 竹尾 IC 上り出口から約2.6 km 新潟バイパス 逢谷内 IC 下り出口から約2.7 km |

